2013年9月9日

上毛高原駅

Filed under: 甲信越, — 駅の飼い猫 @ 9:54 PM
上毛高原駅(じょうもうこうげんえき)は、群馬県利根郡みなかみ町月夜野にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越新幹線の駅である。標高450m。

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、副本線のみにホームがある。駅舎は高架下にある。 社員配置駅。駅舎にはみどりの窓口、指定席券売機(1台)、売店、待合室がある。自動体外式除細動器 (AED) 設置。

本庄早稲田駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:53 PM
本庄早稲田駅(ほんじょうわせだえき)は、埼玉県本庄市北堀字山ノ根にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越新幹線の駅である。 当駅に乗り入れる新幹線は、線路名称上は上越新幹線の1路線のみだが、高崎駅を起点とする北陸新幹線(長野新幹線)の列車も乗り入れている。上越新幹線では上毛高原駅に次ぐ2番目の新幹線単独駅であり、長野新幹線が停車する駅としては安中榛名駅に次ぐ新幹線単独駅である。

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する高架駅。ホームは副本線のみに設けられており、本線は通過線となっている。
  • ホーム長/16両対応の410m
  • ホーム幅/5m(階段拡幅部約6.5m)
  • 設備/階段2カ所、エレベーター2基、エスカレーター4基、自動改札口4通路1ヶ所、他に簡易Suica改札機設置。
  • 駅舎/面積1,370m²(高架下)
  • 自動体外式除細動器 (AED) 設置。
上下線とも、元から存在したコンクリート高架橋の側壁をほとんどそのまま残した上で、さらにその外側に副本線を敷設し、そのまた外側にホームが設けられている。この構内構造の採用により本駅建設の工期と予算の削減、工事に伴う本線の支障を最低限にとどめることが可能となった。また、丘の斜面に駅が建設されたため、ホームの熊谷寄りは、高架構造ではなく掘割構造となっている。

熊谷駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:52 PM
熊谷駅(くまがやえき)は、埼玉県熊谷市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・秩父鉄道の駅である。 所在地はJR東日本が筑波二丁目、秩父鉄道が桜木町一丁目となっている。

乗り入れ路線

JR東日本の上越新幹線と高崎線、秩父鉄道の秩父本線が乗り入れ、接続駅となっている。 当駅に乗り入れる新幹線は、線路名称上は上越新幹線のみだが、高崎駅を起点とする北陸新幹線(長野新幹線)の列車も上越新幹線に乗り入れている。また高崎線は上野駅発着系統と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ラインが停車する。

駅構造

北口(正面口)・南口・東口(ティアラ口)・駅ビルのアズ・隣接するティアラ21(東口直結)・ジェイアール高崎商事運営の定期契約駅駐車場・アズ運営の駅駐車場・熊谷市運営の自転車駐輪場から駅構内を出入りできる。 JR東日本および秩父鉄道の改札口はそれぞれ別になっており、連絡改札口はない(以前は共用だったが、上越新幹線の建設工事に伴い改札口が分けられ た)。また、改札口は両社それぞれ1ヶ所(JR東日本新幹線専用改札口も存在せず、在来線改札を経由し、乗り換え改札利用となっている)で、どの入口から 入っても同じ改札口を利用することになる。 籠原・上熊谷側に高崎線と秩父鉄道との連絡線路(高崎線当駅-秩父鉄道上熊谷駅で接続)が敷設されているが、熊谷貨物ターミナル駅を介して連絡できることや、高崎線 - 秩父鉄道直通旅客列車の運行が廃止になっていることなどから、現在は使用停止になっている。

JR東日本

JR 熊谷駅
くまがや - Kumagaya
所在地 埼玉県熊谷市筑波二丁目112
北緯36度8分22.9秒 東経139度23分23.7秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 クマ
駅構造 高架駅(新幹線) 地上駅(橋上駅)(在来線)
ホーム 2面3線(新幹線) 2面4線(在来線)
乗車人員 -統計年度- 30,644人/日(降車客含まず) -2011年-
開業年月日 1883年(明治16年)7月28日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■上越新幹線 ■長野新幹線
キロ程 34.4km(大宮起点) 東京から64.7km
◄*大宮 (34.4km)
(21.3km) 本庄早稲田►
所属路線 ■高崎線
キロ程 34.4km(大宮起点) 上野から尾久経由で61.3km
◄行田 (4.8km)
(6.6km) 籠原**►
備考 みどりの窓口 有
* この間に大宮支社と高崎支社の境界あり(当駅から本庄早稲田寄りは高崎支社管内) ** この間に熊谷貨物ターミナル駅有り(大宮起点 39.3km)。
地平部に高崎線、高架上に上越新幹線のホームがそれぞれあり、橋上駅舎を有している。高崎支社所属の直営駅。管理駅として行田駅を管理する。みどりの窓口・びゅうプラザ・自動券売機・指定席券売機(改札内外ともに設置)・自動改札機(一部Suica専用自動改札機)・ビューアルッテ(改札口外)・自動体外式除細動器(AED、新幹線改札内)が設置されている。南北自由通路となっている橋上に高崎線の改札口があり、その内側に新幹線乗り換え改札口がある。改札内にはNEWDAYSミニおよび駅そば店があり、トイレは駅そば店北側にある。 上越新幹線開業に合わせ改築された駅舎で、20数年しか経過していないが、数年前より強めの雨が降った日にはコンコースや在来線ホームなどで雨漏りが起きており、カラーコーンで立入禁止にしたり、オイル缶などで水を受け止めたりするなどの対処がされている。 高崎線は、島式ホーム2面4線の地上駅である。1・2番線の上野寄りの階段の昇り口付近にSuica専用グリーン券の券売機があり、そのさらに上野寄りにキヨスクがあったが閉店、2007年(平成19年)4月25日に工事を行い、「AUTO KIOSK」と称した軽食等の自動販売機を設置した無人販売エリアとなった。2009年に両ホームの上野寄りに待合室が設置された。 ホームに向かうエレベーターが各方面の階段の間に、高崎寄りの階段のさらに高崎寄りにエスカレーター(上り下り両方)が設置されている。 通勤快速・快速アーバン・特別快速は当駅を境に高崎・前橋方面は各駅に停車、上野・新宿方面は快速運転となり、いずれも次の停車駅が鴻巣駅と なる。なお、かつては高崎・前橋方面へも快速運転を続けていた(当駅から先は、深谷駅・本庄駅・新町駅・高崎駅・新前橋駅・終点前橋駅の順に停車。なお、 快速運転は快速「アーバン」のみで、通勤快速(「タウン」の愛称付き時代も含む)は各駅に停車していた)。さらにかつては現在とは逆に、前橋方面を快速運 転し、上野方面を各駅に停車する快速列車も存在した。 3番線は上り方面も利用可能で折り返しも可能な構造になっており、ダイヤが乱れた場合に籠原駅発着の列車が当駅で運転を打ち切って上り方面へ折り返す場合に使用されるほか、夏季臨時快速マリンブルーくじらなみ号を はじめとする当駅始発の臨時列車の発着に使われる。 また、次の籠原駅終着の下り列車では籠原駅の終着ホームが上りホームの2番線(折り返し上り列車)の場合、籠原駅より先に行く乗客は階段の昇り降りが発生 し不便なため、当駅にて乗り換えるように当駅到着直前に車掌から案内される。逆に、籠原駅の終着ホームが下り線ホーム(3番線・4番線)の場合や、籠原駅 より先に行く列車が付属編成切り離しなどで待機していて乗り継げる場合、当駅で降りずにこのまま乗り続けるよう案内される。 新幹線は単式・島式ホームの2面3線の高架駅で ある。副本線にホームがあり、下りは単式ホームの1線、上りは島式ホームの2線である(2012年10月時点で上りは通常12番線を使用し、11番線の使 用は僅少)。本線は、上下各副本線の間を走っている。上りホームの上野寄りに喫煙室が設置されている。上野寄りに階段、高崎寄りにエスカレータ(昇り降り 両方)が設置されている。エレベータは、11・12番線は上野寄りの階段の昇り口(改札階)の位置に、13番線は階段・エスカレータの間に設置されてい る。 改札内に待合室・エレベーター・エスカレータ・KIOSKがある。トイレは待合室横にある。 2009年10月より終日禁煙(新幹線ホーム上の喫煙室を除く)となった(それまでは平日午前7時から午前9時の間、全面禁煙)。

大宮駅 (埼玉県)

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:51 PM
大宮駅(おおみやえき)は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅である。

概要

JRでは、新幹線・在来線ともに東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置する。東武鉄道や埼玉新都市交通の路線を合わせると14の路線が乗り入れる日本有数のターミナル駅である。さいたま市の合併前は、JTB時刻表の巻頭索引地図において旧・大宮市の中心駅として表記されていた。 当駅周辺にはJR東日本大宮総合車両センター・日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所(旧・大宮工場)をはじめとして、日本国有鉄道(国鉄)時代から数多くの鉄道施設が立地し、駅周辺は「鉄道の町」として発展した。1980年代以降は大規模な百貨店やオフィスビルが建ち並び賑わいを見せている。

乗り入れ路線

JR東日本の新幹線・在来線各線と、東武鉄道の野田線、埼玉新都市交通の伊奈線(愛称:ニューシャトル)が乗り入れており、接続駅となっている。野田線・伊奈線はともに当駅が起点である。 JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、新幹線が東北新幹線と上越新幹線、在来線が東北本線・高崎線・川越線であり、東北本線を当駅の所属線としている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)。東北本線に関しては本線のほか、武蔵浦和駅経由の別線(埼京線の線路)が分岐している。上越新幹線・高崎線・川越線は当駅を起点としている。 新幹線の運転系統としては、上述の2新幹線のほかに山形新幹線、秋田新幹線の列車が東北新幹線経由で、北陸新幹線(長野新幹線)の列車が上越新幹線経由で乗り入れている。これらの新幹線はすべて当駅以南で東北新幹線上野駅・東京駅方面へ乗り入れる。 在来線の運転系統は以下のように多岐にわたっている。
  • 京浜東北線 : 東北本線の電車線を走行する近距離電車。当駅を運転系統の起点/終点とし、東京駅以南で東海道本線へ乗り入れている。
  • 宇都宮線(東北線) : 東北本線の列車線を走行する中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインが存在する。後者は当駅以南で東北貨物線を走行し、さいたま新都心駅を通過する。
  • 高崎線 : 線路名称上では当駅が起点であるが、当駅以南で東北本線の列車線(宇都宮線)に乗り入れる中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ラインが存在する。当駅以南は上野駅発着・湘南新宿ライン共に宇都宮線と同じ走行線路となる。
  • 武蔵野線(むさしの号・しもうさ号) : 当駅から与野駅まで東北貨物線を経由し、同駅から武蔵野線支線に入り、同駅は通過する。公式サイトなどの時刻表では、当駅のみ湘南新宿ラインの列車として扱われる。
  • 埼京線・川越線 : 地下ホームに発着する。武蔵浦和駅方面の東北本線別線を走行する埼京線と、当駅を起点とする川越線の間で直通運転をしている。

歴史

駅付近空中写真(1974年撮影 国土画像情報オルソ化空中写真(国土交通省)より)
日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野 - 熊谷間の路線が開業した時、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。氷川神社のお膝元として古より栄えた町にも拘らず、大宮宿は明治維新以 後衰退して、鉄道開業当時は243戸の家しかなく、駅を大宮に作るとすると、当時としては駅間の距離が短くなってしまうことが原因である。当時の機関車は 牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本となっていた。しかし、白井助七(後に大宮町長)ら地元有志は町のこれ以上の衰退を危惧し て、駅の敷地のために土地を提供すると提示して、駅の誘致運動を始めた。白井の尽力を記念して、さいたま市民会館おおみやに隣接する児童公園・山丸公園に は白井を顕彰する記念碑と蒸気機関車C12 29号機が置かれ、大宮ソニックシティ前の鐘塚公園には白井の胸像が設置されている。 上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の住民が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。 1894年には北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所) が、白井が提供した土地を基に設けられ、さらには日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝で、駅を中心にして大宮は「鉄道の町」として栄えるようになっ た。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなく、大宮の住民生活は地域内でほぼ完結していた。一方、浦和住民 は昔から東京への通勤が多く、周辺との交流が乏しかったことが大宮・浦和の不仲の遠因となっている。また、後年には鉄道出身者から大宮市議会議員を何人も 輩出しており、大宮と鉄道は密接に関係している。 1906年には、川越馬車鉄道が改称した川越電気鉄道が川越久保町 - 大宮間の路面電車線(電気鉄道)を開業させる。これは後に西武鉄道へ合併されて同社の大宮線となるものの、川越線の開業で打撃を受け、1940年に休止、翌1941年に廃止された。
路線跡はDOMビルとJACK大宮の間を通り、その先のホテル・マロウドイン大宮に至る区間が道路として残っている。そこから先は現在の国道17号(中山道)桜木町交差点まで直線で線路が敷設されていたが、一部を除き線路跡が路地として残っている。同交差点の付近に当駅から出て最初の駅である大成駅があった。かつて大成駅を名乗っていた埼玉新都市交通伊奈線の鉄道博物館(大成)駅とは全く関係ない(西武大宮線の大宮電停に関しては大宮駅 (西武)も参照のこと)。
1929年には北総鉄道(総武鉄道、現在の東武野田線)が、1932年には東北本線電車線(省線電車、現在の京浜東北線)赤羽駅~ 大宮駅間がそれぞれ開業し、大宮駅の拠点性と重要性はさらに高まった。特に省線電車は埼玉南部と東京都心を直接結びつけるために、東北本線沿線住民の30 回に及ぶ陳情によって実現したもので、大宮~上野間を40分で結び、朝晩8分おき、日中16分おきのダイヤで運転された。開業を機に大宮駅周辺には郊外型 住宅地が多数造成され、都市計画法施行や都市計画地域指定などもあり、急速に都市化が進展して人口が増加した。 駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号線(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。そこで、住民の陳情もあって1968年に駅の真下に地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となったが、地下道にホームレスが住み着くなど放尿による悪臭問題を始めとした新たな環境問題が起こり、新幹線工事もあって1981年には早々と廃止された。後の駅舎大改装により改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになったものの、自転車は大栄橋を利用することになった。また、西口駅舎の南端に大宮操車場の荷扱い窓口があったが、操車場の機能停止により廃止された。 1960年代、大宮の人口は急増し、また大宮駅周辺は商業集積地として飛躍的に発展した。1965年のダイヤ改正により、大宮周辺住民の待望の特急電車の停車が始まる。このとき停車した特急は東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」である。 1982年の東北・上越新幹線暫定開業時には始発駅となった(→新幹線・1982年11月15日国鉄ダイヤ改正の項目も参照)。線籍上の上越新幹線の起点であるため、0キロポストが存在する。暫定開業のため、上野駅との間を結ぶ「新幹線リレー号」が運転され、駅構内には「リレーガール」と呼ばれる女性案内員が配置された。同時に東西自由通路・新駅ビルが開業、西口の区画整理・再開発第一期がまちびらきした。1983年には伊奈町との間を結ぶ埼玉新都市交通が開業する。 1985年には新幹線の上野開業で始発駅の地位は失ったものの、埼京線が開業して東京の副都心池袋、後に新宿駅と直接結ばれ、関東における一大ターミナルへと発展を遂げる。後に駅利用者の数は東京都内の主要駅に匹敵するまでに成長している。
1987年頃、中央改札前の「まめの木」近くに鉄人28号のオブジェが立っていたこともあるが、駅ビル「We」(現・ルミネ大宮2)のキャンペーン用として製作されたもので、展示期間終了後に廃棄される予定だった。しかし、その出来の良さから譲渡を求める声が多く寄せられ、最終的に大宮市に存在していた埼玉工業専門学校(現・埼玉自動車大学校)に譲渡され、同校が伊奈町に移転した現在でも校内敷地の道路に面した位置に展示されている。
国鉄分割民営化に際しては、110年の歴史を持ちD51形の復元なども行った大宮工場をJR東日本大宮総合車両センター・JR貨物大宮車両所として継承し、2001年には駅西口の南側にJR東日本大宮支社、車両センター西側の研修センター跡地にJR東日本研究開発センターがそれぞれ置かれた。また、元大宮市議会議員久保島文雄らが中心となり、鉄道の街を記念した施設の誘致をさいたま市は旧大宮市時代より1987年から官民一体で続け、施設の誘致が決定した場合のために基金を積んできた。鉄道博物館の建設が決定すると、さいたま市は約25億円の基金を建設費として充当し、2007年10月14日に開館した。さらに、ステーションルネッサンスの一環とした「駅ナカ」第一弾「エキュート大宮」が2005年に開業して成功を収めており、21世紀においても「鉄道の街」としての地位を保ち続けている。ただし、これらいわゆる「エキナカ」施設に対しては、駅舎外への客足を妨げるものとして地元商店街からは非難の声も挙がっている。

上野駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:50 PM
上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。

概要

当駅は、日本の鉄道黎明期に日本初の私鉄である日本鉄道が、上野 - 熊谷間の第一区線開業時に合わせて、東京下町北端の山下町に東京方の起点駅として開業した歴史ある駅である。以来、日本を代表するターミナル駅として栄えてきた。 現在、当駅には北関東と東京を結ぶJR各線の中距離電車と東京都区部を走る各通勤電車(JR東日本・東京メトロ)各線が結節し、また東北、上・信越方面の各新幹線、その他在来線各線の優等列車が発着するなど、東京の「北の玄関口」として機能している。

乗り入れ路線

当駅には、JR東日本の新幹線と在来線各線、および東京メトロの路線が乗り入れている。

JR東日本

このうち、JR東日本の新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみである[1]が(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)、東北新幹線経由で山形、秋田、上越、長野の各新幹線が乗り入れている。 JR東日本の在来線に関しても、線路名称上は東北本線のみである[1]が、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。
  • 宇都宮線 : 列車線を走行する東北本線の中距離電車系統。赤羽駅までは尾久駅経由の支線を走行する。
  • 高崎線 : 線路名称上の起点は大宮駅だが、同駅以南で東北本線(宇都宮線)列車線に乗り入れている。
  • 京浜東北線 : 電車線を走行する東北本線の近距離電車系統。赤羽駅までは王子駅経由の本線ルートを走行する。
  • 山手線 : 電車線を走行する環状路線。京浜東北線と並行しない区間が線路名称上の山手線にあたる。
  • 常磐線(常磐線快速電車を含む[2]) : 線路名称上の起点は日暮里駅だが、東北本線上の専用線路を介して当駅まで乗り入れている。
上記のうち、宇都宮線、高崎線、常磐線は現在、当駅を運転系統の起点としており、東京駅方面へは山手線と京浜東北線のみが運行されている。また、宇都宮線と高崎線が同じ線路を共有しているほかは、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。 JR東日本公式サイトにて記載されている当駅の「所属路線」は、京浜東北線、常磐・成田線、常磐線、高崎線、東北本線、山手線、秋田新幹線、上越新幹線、東北新幹線、長野新幹線、山形新幹線の11路線となっている[3]

東京メトロ

東京メトロは銀座線と日比谷線の2路線が乗り入れており、それぞれ「G 16」「H 17」の駅番号が与えられている。

東京駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:31 PM
東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。 ※以下、JR東日本とJR東海を総称する場合は「JR」と表記する。

概要

プラットホーム遠景 (2004年4月22日)
東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。
東京駅とその周辺駅の位置関係[1] ※注意※東北縦貫線開業後の予定図

乗り入れ路線

当駅周辺のJR在来線の線路名称と運転系統
当駅にはJRの新幹線と在来線各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。丸ノ内線の駅には「M 17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[2]。 JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている[3]。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。「東北(本)線」は案内上では上野駅発着の長・中距離列車を意味するため、当駅では現在用いられていない。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。 運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
  • 東北新幹線
  • 上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
  • 長野新幹線 : 長野駅 - 高崎駅間は北陸新幹線を、高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線をそれぞれ走行し、大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
  • 山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。
  • 秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。
また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、京葉線と武蔵野線が同一の線路を共有している以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。
  • 東海道線 : 東海道本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。
  • 京浜東北線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。
  • 山手線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。
  • 中央線 : 中央本線の近距離電車[※ 1]。神田駅から東北本線の専用線を経由して当駅に発着する。
  • 横須賀線・総武快速線 : 両線で直通運転を実施している。当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する。
  • 京葉線
  • 武蔵野線 : 西船橋駅より京葉線を介して当駅まで直通運転を実施している。
JRでは当駅を「中央駅」と位置付けており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101 - 200km)。

中央駅としての位置付け

1889年に国鉄東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の1908年から本格化し、1914年12月18日に完成し、同時に「東京駅」と命名された。

建設当時の東京駅

当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。 駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り3階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。当時は南北にドーム状の屋根があり、また丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分かれていた。(以降は歴史・年表を参照のこと)

将来の計画

2012年現在、東北縦貫線以外の路線についてはすべて計画段階であり、正式な決定には至っていない。
  • 東北新幹線の当駅延伸の際に撤去された東北本線列車線の秋葉原 - 当駅間を再建させ、宇都宮線(東北本線)・高崎線・常磐線(快速)の各列車が当駅へ乗り入れるとともに、一部列車が東海道本線と直通運転する計画があると発表されている(東北縦貫線計画)。当初は2009年度の完成を予定していたが、計画より遅れ、2014年度の完成を予定している。
  • 首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は1985年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
  • 大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに2015年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
  • 京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この計画では京急と京成の通勤電車も乗り入れる予定である。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である[4]
  • 現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスと の乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、2010年から本格的 な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう[5]
「東京モノレール羽田空港線#今後の予定」を参照

歴史

詳細は「東京駅の歴史」を参照
竣工当時の東京駅(前庭より)
関東大震災直後、尋ね人のビラが貼られた東京駅警備巡査派出所(1968年、解体。1972年、博物館明治村に移築)
空襲で焼失した東京駅の全景(1945年)
1889年(明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。 日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、「東京駅」と名付けられた。 1919年(大正8年)3月1日に中央本線が、1925年(大正14年)11月1日に東北本線が乗り入れ、1929年(昭和4年)12月16日には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していった。 しかし、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。 同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年(昭 和22年)にかけて修復工事を行ったので、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階 部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復元、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更[※ 2]、といった内容だった。 できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている[6]。 一方、1929年(昭和4年)12月16日には八重洲口が開設された。1948年(昭和23年)11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年(昭和24年)4月29日に失火で焼失してしまい、1954年(昭和29年)10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままである。 1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)7月15日には総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年(平成3年)6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。

上越新幹線

Filed under: 甲信越,路線,関東 — 駅の飼い猫 @ 9:25 PM
上越新幹線(じょうえつしんかんせん)は、大宮駅(列車運行上は東京駅)から新潟駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の高速鉄道路線およびその列車(新幹線)である。

概要

冬期間の越後湯沢駅。スプリンクラーで融雪され、雪景色の中でも線路上には積雪がない。
全国新幹線鉄道整備法に基づく新幹線鉄道として初めて『全国新幹線鉄道整備法第四条第一項の規定による建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』(1971年運輸省告示)に盛り込まれた3線のうちの一つである(残り2線は東北新幹線と成田新幹線)。1971年に基本計画の決定・整備計画の決定を経て着工、1982年11月15日に大宮 - 新潟間が開業(当時は国鉄)。のち、東北新幹線の上野 - 大宮、東京 - 上野間の開業に伴い順次運転区間を延長した。 東京 - 大宮間は線籍上は東北新幹線であるが、大宮駅を始終着とする列車はなく、全列車が東京駅(臨時列車の一部は上野駅始終着)まで乗り入れ、新潟行きの列車については東京 - 大宮間においても「上越新幹線」と案内される。同様に、上越新幹線の大宮 - 高崎間に乗り入れている北陸新幹線(長野新幹線)への列車については、東京 - 高崎間においても「長野新幹線」と案内される。 群馬県から新潟県にかけての区間(高崎 - 長岡間)は三国山脈を通過するため、大部分がトンネルである。また、世界有数の豪雪地帯である新潟県内を中心にスプリンクラーによる融雪設備を備えているほか、新潟県内の駅では線路・プラットホーム全体が屋根で覆われているなど、雪害対策が入念に施されている。そのため、雪による運行上の障害は滅多なことでは発生しない。平野部(関東平野、越後平野)では、大部分が高架上を走る。 従来の東海道・山陽新幹線および東北新幹線と違うのは、"本州を横断する新幹線"ということである。本州の太平洋側と日本海側を結ぶ初の新幹線という意味でも注目された。首都圏方面から越後湯沢や長岡での乗り継ぎで上越・富山・高岡・金沢方面が、新潟での乗り継ぎで村上・鶴岡・酒田方面がそれぞれ従前より短時間で首都圏と結ばれた。 「上越」の名称は並行在来線の上越線(高崎駅 - 宮内駅間)から由来するもので、群馬・新潟両県の旧令制国名(上州と越後)に由来する。なお、新潟県にはそれとは別に「上越地方」・「上越市」(上越後の意)が存在するが、上越新幹線のルートとは全く別の地域である(上越を参照)。なお、この上越市については、2014年度の開業を目指して建設中である北陸新幹線の延伸区間が経由する予定となっている。 越後湯沢 - ガーラ湯沢間は、冬期間のみ営業する区間である。新幹線車両しか乗り入れないが、線籍上は上越線の支線で在来線扱いとなっている。 最高速度は全線で240km/hであり、大半の区間が直線主体の線形であるため、最高速度での走行が可能である。ただし、高崎 - 上毛高原間の「中山トンネル」については建設時に異常湧水などに悩まされる難工事となり、結果的に当初計画から大きく迂回するルートに変更せざるを得なくなり、その関係で急曲線が介在する線形となったため、同トンネル付近では160km/hの速度制限を受ける。 なお、長岡 - 新潟間は基本計画路線に入っている羽越新幹線との共用区間であるが、基本計画決定以降こちらの建設については動きはない。  

路線データ

本線

  • 区間:大宮駅 - 新潟駅間
  • 路線距離(実キロ):269.5km(営業キロは303.6km)
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:10(起終点駅含む、このうち上越新幹線単独駅は2駅)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(交流25,000V・50Hz)
  • 保安装置:ATC(DS-ATC)
  • 運転指令所:JR東日本新幹線運行本部 総合指令室
  • 列車運行管理システム:新幹線総合システム(COSMOS)
  • 構造種別延長割合 路盤 1%、橋梁 11%、高架橋 49%、トンネル 39%[1]
  • 最高速度: 240km/h

支線(正式には上越線の一部)

  • 区間:越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間
  • 路線距離(実キロ・営業キロ):1.8km(両キロとも同じ)
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:2(起終点駅含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(交流25,000V・50Hz)
  • 保安方式:ATC(DS-ATC)
  • 運転指令所:JR東日本新幹線運行本部 総合指令室
  • 列車運行管理システム:新幹線総合システム(COSMOS)
JR東日本の新幹線では、全体の運行管理業務を本社内の新幹線運行本部が統括する一方、保線管理や駅営業業務等の現業機関については地方支社が新幹線と並行在来線の双方を一体管理する組織体系を取っている[2]。上越新幹線における支社毎の管轄割り当ては以下の通り。
  • 大宮駅構内:大宮支社
  • 熊谷 - 上毛高原:高崎支社
  • 越後湯沢 - 新潟、越後湯沢 - ガーラ湯沢:新潟支社

高崎線

Filed under: 路線,関東 — 駅の飼い猫 @ 9:03 PM
高崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。 旅客案内上は、乗り入れ先の東北本線(愛称は宇都宮線)上野駅 - 大宮駅間を含めて「高崎線」と案内される場合がある[1]

概要

高崎線は、大宮駅で東北本線から分岐し、群馬県の高崎までを結ぶ路線で、東京の近郊路線の一つである。国道17号(中山道)とほぼ並行し、一部区間をのぞき同じ市町村を経由している。 路線名には高崎市や高崎駅の「高崎」を冠し、管轄は大宮駅構内をのぞきJR東日本高崎支社であるが、経路上の大部分(大宮駅から神保原駅まで)は埼玉県内であり、高崎線の南部では埼玉県と東京間の地域輸送に機能が偏重している。 全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。旅客案内などに用いられるラインカラーは、首都圏地区の東海道線や宇都宮線と同様、普通列車の車体色の一部であるオレンジ(■)である。 現在、高崎線はほぼ全列車が東北本線(宇都宮線)の大宮駅以南に乗り入れ、うち約7割の列車は同線の列車線の線路を走行して上野駅を始発終着駅とする。また、その他約3割は貨物線を走行して田端駅付近から山手貨物線池袋・新宿・渋谷経由で東海道本線の平塚駅・国府津駅・小田原駅まで乗り入れる。一般的に、前者を高崎線列車、後者を湘南新宿ライン(東海道線直通・高崎線直通)と称している。終点である高崎駅からは、全体の2割程度が上越線へと乗り入れ、さらに上越線の新前橋駅から両毛線、渋川駅から吾妻線(特急のみ)へ直通する列車もある。 高崎線は、日本鉄道が上野 - 熊谷間を開業した当時、日本鉄道では第一区線とされ[2]、政府官報では上野熊谷間汽車とされたが、旅客案内上は仲仙道汽車と案内されることもあった[3]。日本鉄道が国有化された後の1909年(明治42年)10月12日、鉄道院告示第54号国有鉄道線路名称左ノ通定ムにより公式に大宮 - 高崎間を「高崎線」と定め、両毛線や日光線、水戸線等と同じく東北本線を幹線とする「東北線の部」に属する一線として位置付けられた[2][3]。 かつては高崎駅以北へ向かう上越線・信越線の特急・急行列車が高崎線内を多数通過していたが、上越新幹線・長野新幹線開通後は大幅に削減された。現在、昼間の特急列車としては「草津」や「あかぎ」などが運行されている。夜行列車については、2010年春に寝台特急「北陸」および急行「能登」が廃止され、以後は上野から秋田・青森方面へ向かう寝台特急「あけぼの」[4]が残るのみとなっている。この「あけぼの」は、2010年12月の東北新幹線東京 - 新青森間全通により廃止が取り沙汰されたが、JR東日本秋田支社は当面存続させる方針を表明している[5]。 また広く公表されていないが、当路線では中間駅各駅にテーマカラーが設定されている。これは同線の駅の多くがJR型配線であるためその識別であると思われる。テーマカラーはホーム屋根の柱にワンポイントで入り、ベンチもそのテーマカラーと同系色のものが設置されている[6][7]

路線データ

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
  • 区間(営業キロ):大宮駅 - 高崎駅 74.7km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:19(起終点駅を含む)
    • 高崎線所属駅に限定する場合、大宮駅(東北本線所属[8])が除外され、18駅となる。
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:(複線)自動閉塞式
  • 保安装置:ATS-P
  • 最高速度(電車または気動車):優等列車120km/h、普通列車110km/h
  • 運転指令所:
    • 大宮駅 - 神保原駅間 東京総合指令室 (ATOS)
    • 神保原駅 - 高崎駅間 高崎総合指令室(運転取扱は新町駅、倉賀野駅、高崎操車場、高崎駅が行い、北藤岡駅の信号設備は新町駅から制御される)
大宮駅を含む川越線との並行区間はJR東日本大宮支社、宮原駅 - 高崎駅間は同社高崎支社の管轄である。支社境界は川越線と分かれた後の大成第六踏切付近(大宮起点3km地点)に設けられている。 ピーク1時間(ラッシュ時)の通過人員と混雑率は、宮原駅→大宮駅間で、2008年度がそれぞれ48,360人・192%[9]、また2010年度は48,350人・191%[10]である。この混雑率は「体が触れ合うが新聞は読める」目安とされる180%と「週刊誌なら何とか読める」目安とされる200%のほぼ中間となっている[11]

高崎駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:02 PM
高崎駅(たかさきえき)は、群馬県高崎市八島町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・上信電鉄の駅である。

概要

当駅は高崎市、群馬県の中心駅であるとともに北関東最大のターミナル駅であり、群馬県内の交通の要衝となっており、新幹線開業前は東京方面から上越線方面と信越本線方面との分岐点として機能していた。長距離輸送の役目を新幹線に譲った現在では、上越新幹線と北陸新幹線(長野新幹線)の分岐点となっているほか、在来線においても群馬県内各地へ向かう各路線のターミナル駅としての役割を担っている。

乗り入れ路線

当駅にはJR東日本の新幹線・在来線各線と、上信電鉄の上信線が乗り入れている。 JR東日本の新幹線は上越新幹線と北陸新幹線の2路線が乗り入れている。北陸新幹線は路線としては当駅が起点であるが、現在の案内上は「長野新幹線」と呼ばれ、上越新幹線ともども東京駅まで乗り入れている。運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
  • 上越新幹線 : 東京方面から新潟方面へ通じる動脈であり、当駅の主要路線でもある。大宮駅 - 東京駅間は東北新幹線に乗り入れている。
  • 長野新幹線 : 長野駅 - 当駅間は北陸新幹線を走行し、当駅 - 大宮駅間は上越新幹線に乗り入れている。大宮駅からは、上越新幹線とともに東北新幹線に乗り入れている。
JR東日本の在来線は次の各線が乗り入れている。いずれも第二種鉄道事業としてJR貨物の貨物列車も運行されている。
  • 高崎線 : 当駅の所属線[1]であるとともに当駅を終点としている。埼玉県や東京都心方面への動脈であり、上野駅発着の列車と、新宿駅経由で東海道線へ直通運転を行う湘南新宿ラインの列車が発着している。また下記の上越線・信越本線と線路が接続されており、直通が可能となっているが、現在の定期列車は上越線・両毛線にのみ直通する。
  • 上越線 : 当駅が起点とし、群馬県北部の水上駅方面へ通じている。
  • 信越本線 : 当駅が起点である。かつてはその名のとおり信越へ通じていたが、現在は長野新幹線開業とともに横川駅で分断されている。
正式な線路名称上は以上の3路線だが、上記路線の途中駅から分岐する以下の各線(これらについてはJR貨物は鉄道事業免許を持たない)の列車も当駅へ乗り入れており、前述の3路線を合わせると合計6方面の列車が発着している。
  • 八高線 : 倉賀野駅から高崎線経由で乗り入れる。
  • 両毛線 : 新前橋駅から上越線経由で乗り入れる。高崎線からも一部列車が「高崎・両毛線」として前橋駅まで直通運転する。
  • 吾妻線 : 渋川駅から上越線経由で乗り入れる。

高崎問屋町駅

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:01 PM
高崎問屋町駅(たかさきとんやまちえき)は、群馬県高崎市貝沢町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)上越線の駅である。 上越線に乗り入れる吾妻線と両毛線の列車も利用可能である。

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。 高崎駅管理の業務委託駅であるが、早朝の一部時間帯は駅員が不在となる。自動改札機・みどりの窓口が設置されている。深夜帯は窓口閉鎖されるが駅員はおり、自動改札機を通過出来ない切符を持った利用者の改札などを行っている。 自転車利用者が駅内を押して問屋口と貝沢口とを通り抜けできるように、問屋口と貝沢口のそれぞれのエレベーターは、駅周辺を利用するための自転車も乗せられるようになっており、大きさも少し大きくなっている。当駅の発車メロディーは、「雲を友として」・「清流」である。「雲を友として」は当駅以外の使用は無い。
« 前ページへ次ページへ »

Copyright(c) 2009 by i-Style Corp. All Rights Reserved.