2013年9月9日

大宮駅 (埼玉県)

Filed under: 関東, — 駅の飼い猫 @ 9:51 PM
大宮駅(おおみやえき)は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅である。

概要

JRでは、新幹線・在来線ともに東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置する。東武鉄道や埼玉新都市交通の路線を合わせると14の路線が乗り入れる日本有数のターミナル駅である。さいたま市の合併前は、JTB時刻表の巻頭索引地図において旧・大宮市の中心駅として表記されていた。 当駅周辺にはJR東日本大宮総合車両センター・日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所(旧・大宮工場)をはじめとして、日本国有鉄道(国鉄)時代から数多くの鉄道施設が立地し、駅周辺は「鉄道の町」として発展した。1980年代以降は大規模な百貨店やオフィスビルが建ち並び賑わいを見せている。

乗り入れ路線

JR東日本の新幹線・在来線各線と、東武鉄道の野田線、埼玉新都市交通の伊奈線(愛称:ニューシャトル)が乗り入れており、接続駅となっている。野田線・伊奈線はともに当駅が起点である。 JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、新幹線が東北新幹線と上越新幹線、在来線が東北本線・高崎線・川越線であり、東北本線を当駅の所属線としている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)。東北本線に関しては本線のほか、武蔵浦和駅経由の別線(埼京線の線路)が分岐している。上越新幹線・高崎線・川越線は当駅を起点としている。 新幹線の運転系統としては、上述の2新幹線のほかに山形新幹線、秋田新幹線の列車が東北新幹線経由で、北陸新幹線(長野新幹線)の列車が上越新幹線経由で乗り入れている。これらの新幹線はすべて当駅以南で東北新幹線上野駅・東京駅方面へ乗り入れる。 在来線の運転系統は以下のように多岐にわたっている。
  • 京浜東北線 : 東北本線の電車線を走行する近距離電車。当駅を運転系統の起点/終点とし、東京駅以南で東海道本線へ乗り入れている。
  • 宇都宮線(東北線) : 東北本線の列車線を走行する中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインが存在する。後者は当駅以南で東北貨物線を走行し、さいたま新都心駅を通過する。
  • 高崎線 : 線路名称上では当駅が起点であるが、当駅以南で東北本線の列車線(宇都宮線)に乗り入れる中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ラインが存在する。当駅以南は上野駅発着・湘南新宿ライン共に宇都宮線と同じ走行線路となる。
  • 武蔵野線(むさしの号・しもうさ号) : 当駅から与野駅まで東北貨物線を経由し、同駅から武蔵野線支線に入り、同駅は通過する。公式サイトなどの時刻表では、当駅のみ湘南新宿ラインの列車として扱われる。
  • 埼京線・川越線 : 地下ホームに発着する。武蔵浦和駅方面の東北本線別線を走行する埼京線と、当駅を起点とする川越線の間で直通運転をしている。

歴史

駅付近空中写真(1974年撮影 国土画像情報オルソ化空中写真(国土交通省)より)
日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野 - 熊谷間の路線が開業した時、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。氷川神社のお膝元として古より栄えた町にも拘らず、大宮宿は明治維新以 後衰退して、鉄道開業当時は243戸の家しかなく、駅を大宮に作るとすると、当時としては駅間の距離が短くなってしまうことが原因である。当時の機関車は 牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本となっていた。しかし、白井助七(後に大宮町長)ら地元有志は町のこれ以上の衰退を危惧し て、駅の敷地のために土地を提供すると提示して、駅の誘致運動を始めた。白井の尽力を記念して、さいたま市民会館おおみやに隣接する児童公園・山丸公園に は白井を顕彰する記念碑と蒸気機関車C12 29号機が置かれ、大宮ソニックシティ前の鐘塚公園には白井の胸像が設置されている。 上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の住民が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。 1894年には北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所) が、白井が提供した土地を基に設けられ、さらには日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝で、駅を中心にして大宮は「鉄道の町」として栄えるようになっ た。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなく、大宮の住民生活は地域内でほぼ完結していた。一方、浦和住民 は昔から東京への通勤が多く、周辺との交流が乏しかったことが大宮・浦和の不仲の遠因となっている。また、後年には鉄道出身者から大宮市議会議員を何人も 輩出しており、大宮と鉄道は密接に関係している。 1906年には、川越馬車鉄道が改称した川越電気鉄道が川越久保町 - 大宮間の路面電車線(電気鉄道)を開業させる。これは後に西武鉄道へ合併されて同社の大宮線となるものの、川越線の開業で打撃を受け、1940年に休止、翌1941年に廃止された。
路線跡はDOMビルとJACK大宮の間を通り、その先のホテル・マロウドイン大宮に至る区間が道路として残っている。そこから先は現在の国道17号(中山道)桜木町交差点まで直線で線路が敷設されていたが、一部を除き線路跡が路地として残っている。同交差点の付近に当駅から出て最初の駅である大成駅があった。かつて大成駅を名乗っていた埼玉新都市交通伊奈線の鉄道博物館(大成)駅とは全く関係ない(西武大宮線の大宮電停に関しては大宮駅 (西武)も参照のこと)。
1929年には北総鉄道(総武鉄道、現在の東武野田線)が、1932年には東北本線電車線(省線電車、現在の京浜東北線)赤羽駅~ 大宮駅間がそれぞれ開業し、大宮駅の拠点性と重要性はさらに高まった。特に省線電車は埼玉南部と東京都心を直接結びつけるために、東北本線沿線住民の30 回に及ぶ陳情によって実現したもので、大宮~上野間を40分で結び、朝晩8分おき、日中16分おきのダイヤで運転された。開業を機に大宮駅周辺には郊外型 住宅地が多数造成され、都市計画法施行や都市計画地域指定などもあり、急速に都市化が進展して人口が増加した。 駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号線(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。そこで、住民の陳情もあって1968年に駅の真下に地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となったが、地下道にホームレスが住み着くなど放尿による悪臭問題を始めとした新たな環境問題が起こり、新幹線工事もあって1981年には早々と廃止された。後の駅舎大改装により改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになったものの、自転車は大栄橋を利用することになった。また、西口駅舎の南端に大宮操車場の荷扱い窓口があったが、操車場の機能停止により廃止された。 1960年代、大宮の人口は急増し、また大宮駅周辺は商業集積地として飛躍的に発展した。1965年のダイヤ改正により、大宮周辺住民の待望の特急電車の停車が始まる。このとき停車した特急は東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」である。 1982年の東北・上越新幹線暫定開業時には始発駅となった(→新幹線・1982年11月15日国鉄ダイヤ改正の項目も参照)。線籍上の上越新幹線の起点であるため、0キロポストが存在する。暫定開業のため、上野駅との間を結ぶ「新幹線リレー号」が運転され、駅構内には「リレーガール」と呼ばれる女性案内員が配置された。同時に東西自由通路・新駅ビルが開業、西口の区画整理・再開発第一期がまちびらきした。1983年には伊奈町との間を結ぶ埼玉新都市交通が開業する。 1985年には新幹線の上野開業で始発駅の地位は失ったものの、埼京線が開業して東京の副都心池袋、後に新宿駅と直接結ばれ、関東における一大ターミナルへと発展を遂げる。後に駅利用者の数は東京都内の主要駅に匹敵するまでに成長している。
1987年頃、中央改札前の「まめの木」近くに鉄人28号のオブジェが立っていたこともあるが、駅ビル「We」(現・ルミネ大宮2)のキャンペーン用として製作されたもので、展示期間終了後に廃棄される予定だった。しかし、その出来の良さから譲渡を求める声が多く寄せられ、最終的に大宮市に存在していた埼玉工業専門学校(現・埼玉自動車大学校)に譲渡され、同校が伊奈町に移転した現在でも校内敷地の道路に面した位置に展示されている。
国鉄分割民営化に際しては、110年の歴史を持ちD51形の復元なども行った大宮工場をJR東日本大宮総合車両センター・JR貨物大宮車両所として継承し、2001年には駅西口の南側にJR東日本大宮支社、車両センター西側の研修センター跡地にJR東日本研究開発センターがそれぞれ置かれた。また、元大宮市議会議員久保島文雄らが中心となり、鉄道の街を記念した施設の誘致をさいたま市は旧大宮市時代より1987年から官民一体で続け、施設の誘致が決定した場合のために基金を積んできた。鉄道博物館の建設が決定すると、さいたま市は約25億円の基金を建設費として充当し、2007年10月14日に開館した。さらに、ステーションルネッサンスの一環とした「駅ナカ」第一弾「エキュート大宮」が2005年に開業して成功を収めており、21世紀においても「鉄道の街」としての地位を保ち続けている。ただし、これらいわゆる「エキナカ」施設に対しては、駅舎外への客足を妨げるものとして地元商店街からは非難の声も挙がっている。

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